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水戸地方裁判所 昭和59年(ワ)357号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、新いばらき、いはらき、朝日、読売及び毎日の各新聞(朝日、読売、及び毎日については茨城版)に別紙目録記載の謝罪広告を掲載せよ。

2  被告は、原告に対し、三〇〇万円及びこれに対する昭和五九年一一月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五一年五月一二日当時、水戸市立第五中学校(以下「水戸五中」という。)の教諭であり、昭和五一年五月一二日午前八時五五分ころ、水戸五中体育館において、同校の生徒であった佐藤浩(以下「浩」という。)に原告が暴行を加えたとして、その程度、態様、正当性(教育行為性)が問題となった事件(以下「水戸五中事件」という。)において、民事・刑事訴訟において当事者となった者である。このうち、原告が暴行罪で起訴された刑事事件(以下「本件刑事事件」という。)は、昭和五六年四月一日、東京高等裁判所において無罪の判決(以下「二審判決」という。)が言い渡され、右判決は確定した。

2(一)  被告は、昭和五六年四月九日及び同月一〇日付の新いはらき新聞に「女教師体罰事件の判決に思う(上・下)」と題する論稿(以下「本件文章(一)」という。)を寄稿した。

(二)  また、被告は、昭和五七年一一月六日付の総合労働研究所発行の単行本「教師の懲戒と体罰」(牧柾名・今橋盛勝編著)に「水戸市立第五中学校事件」と題する論稿(以下「本件文章(二)」という。)を寄稿した。

3(一)  被告は、本件文章(一)中において、水戸五中事件について次の記述をした。

(1) 「まず、第一に、ああ強きかな教師集団。という溜息が出た。聖職のメンツにかけて体罰をどうしても正当化しなければならない。」

(2) 「『暴力女教師事件』がなぜ『愛のムチ』にすりかえられたのだろう。」

(3) 「『何だ加藤と一緒か』と、ふいと呟いたのが当の教師の耳に入って、運命の鉄拳を受けるハメとなった。」

(4) 「絶対に『愛のムチ』ではない。この一瞬に教育はなかった。実態は凄まじい頭部殴打であったのである。身長一四五センチの小柄な少年は、衆目の前に涙を浮かべて、逃げもせず女教師の数回以上の殴打に、じっと耐えた。まことにいたましい話である。」

(5) 「ささいなことに教師の特権とばかり『愛のムチ』を乱用されることは、絶対許せない。」

(6) 「そのとき配布された印刷物の裏に『故佐藤浩成仏』という、彼自身の薄い鉛筆のらくがきが発見されている。

らくがきは、何を物語っているだろうか、私は推測をあえて述べない。」

(二)  被告は、本件文章(二)中において、次のような記述をした。

(1) 「『チキショウ、チキショウ、チキショウ!』不気味な長い余いんを引いて、やがて静かに命の火は消えた。原因不明の脳内出血であった。」

(2) 「『おばさん、浩君は学校で死ぬ前に加藤先生に、ものすごく頭を殴られたんです。浩君はなにも言わなかった?』」

(3) 「突然の殴打、そして死」

(4) 「そこへ三年担任体育科の加藤裕子教諭(当時四〇歳)が近づいて来て、『佐藤』と呼びとめた。『ハイ』と答えて振り向いた浩君にいきなり怒声がとび、右手の拳がふり上げられて浩君の後頭部を一回殴った。加藤教諭は身長一六三センチで、がっしりとした体格である。それに比べて、身長一四三センチ体重三八キロの小柄な体格の浩君の体は、この時ぐらっと揺れた。つづいて彼女は叱言を口走り直立する浩君と向きあって、右手拳で浩君の頭部をなん回か殴った。

連れの生徒四名は驚いて二メートルほどひき下がり、とりまくようにしてこの突然の暴行を、一部始終見ていた。待機していた多くの三年生も目撃していた。『ああまた加藤先生が怒ってる』と言いながら、遠くから眺めていた三年生もいた。彼女は怒りっぽく、説教の長いことで生徒の間で定評のある教師であった。

浩君は衆人環視の中で言い訳もならず、唇を噛みしめて先生の殴打に耐え、涙をこらえていた。

四人の生徒は口々にたずねた。

『佐藤君、どうして叩かれたの』

『わからない』

と浩君はポツンと応えただけである。あとで「痛い」と呟いて頭をそっと撫でていた。」

(5) 「生徒たちの間では死の八日前に起きた、加藤教諭が浩君の頭に暴行を加えたことがすぐに話題となり、一段と激しい慟哭の波がえんえんと広がるばかりであった。」

(6) 「せめて解剖すべきであった。」

4  被告は、本件文章(一)(二)の右3の記述(以下総称して「本件記述」という。)において、水戸五中教師には体罰を行い、教師どうしかばいあう体質がある、原告は感情にかられて水戸五中事件において強度の暴行を一生徒に加えたに違いない、あるいはその暴行によりその生徒を死に至らしめたかもしれない、と述べているのであり、右記述は原告の教師としての名誉を毀損するものである。

5  原告は、本件記述により精神的苦痛を被ったものであり、この苦痛を慰謝するには三〇〇万円が相当である。

6  よって、原告は、被告に対し、名誉を回復する適当な処分として請求の趣旨1項記載の謝罪広告の掲載並びに不法行為による損害賠償として三〇〇万円及びこれに対する本件不法行為の後である昭和五九年一一月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  同4は否認する。

3  同5は否認する。本件記述により、原告の名誉はそれ以前と比べて特段の影響を受けたものとはいえないから、原告の行為により被告が損害を被ったとはいえない。

三  抗弁

1  本件記述は体罰の是非という教育上の重要問題を真面目に取り上げたものであり、原告の個人攻撃を目的としたものではなく、結果的にみてもこのような論調がその後、文部省、法務省にも体罰への反省を強く促し、ひいては子供の人権保障に貢献していることなどを考えると、本件記述は憲法に定める表現の自由の範囲内のものであって、違法性が阻却されるというべきである。

2  以下のとおり、本件記述を含む本件文章(一)(二)の記載は、公共の利害に関する事実に係り、被告は、もっぱら公益を図る目的でこれを記述したものであり、本件記述はいずれも真実であるか、少なくとも被告には真実であると信ずべき相当な理由があるから、被告の行為は不法行為を構成しない。

(一) 事実の公共性

原告は、昭和五一年五月一二日水戸五中の体育館において生徒の体力測定という職務に従事中、当時中学二年生の浩の頭部を手拳で殴打したとして暴行罪で略式起訴され(なお、浩は昭和五一年五月二〇日に脳内出血で死亡した。)、水戸簡易裁判所は原告に罰金五万円を課したが、その後原告が正式裁判の請求をしたため同裁判所が右事件を審理し、昭和五五年一月一六日、罰金三万円の一審判決(以下「一審判決」という。)を言い渡した。

この事件は体罰の是非にからんで世間の関心の的とされ新聞でも大きく取り上げられた。

原告は一審判決を不服として控訴し、東京高等裁判所は、昭和五六年四月一日、原告の行為は「外形的には佐藤浩の身体に対する有形力の行使ではあるけれども、学校教育法一一条、同法施行規則一三条により教師に認められた正当な懲戒権の行使として許容された限度内の行為と解するのが相当である。」として無罪の言い渡しをした。

この東京高等裁判所の無罪判決は「愛のムチ」を認めた判決だとして全国的な反響を呼んだ。

学校教育法一一条は、校長及び教員が生徒に対し、懲戒の手段としての体罰を加えることを全面的に禁止しており、また、判例も一貫して体罰の全面禁止を判示していたことから、二審判決は異例であるとの印象を一般に与えるものとなり、水戸五中事件のなりゆきを見守ってきた教師、市民、ジャーナリスト等の多くは右判決の事実認定や論理の展開について大きな疑問を抱いたのである。

体罰の是非をめぐる問題は今日的な問題であり、被告の本件記事及び本件論文は体罰の是非をめぐっての意見の表明であり、二審判決への疑問を中心テーマにおいたものであって、二審判決が体罰の助長、生徒の人権侵害の助長の引き金になることを憂えて、問題の所在を世に訴え、体罰のない教育を回復することを狙いとしたものであるから、これが公共の利害に関することは明らかである。

(二) 公益を図る目的

被告は、かつて教師を勤めたこともあり、また二人の子供を育てた母親として、水戸五中事件の新聞報道を読み、学校教育法一一条により、教師の体罰が禁止されているにもかかわらず、生徒に体罰を課すことは教育といえるだろうか、子供の人権軽視ではないかとの疑問を持ち、また頭部殴打されて八日後に脳内出血で死亡した生徒の両親に対して学校側が適切な処置をしたか否かに疑問を持ち、放置しえない社会的な重要問題と受けとめ、この事件に関心を持つに至った。被告は本事件を原告の個人的行為とは見ず、教育公務員が教育現場で起こした事件として、自分をも含む多くの母親の共通の問題として見ていたのである。被告は事件の真相をできるだけ客観的に把握すべく、浩の母佐藤澄子を始め水戸五中学区の母親たちから事情聴取し、新聞報道を読み、裁判の傍聴をし、さらには公判記録も入手して読んだ。その結果、被告は本件刑事事件の一審(水戸簡易裁判所)での検察官の論告及び判決はほぼ妥当なものと判断し、二審判決に対しては疑問を禁じ得なかった。特に体罰が一定の範囲では是認されうるとする二審判決が教育現場に与える影響を思うとき、それを黙認できないと考えた。のみならず、暴行事件として無罪の判決になっても、原告及び水戸五中の教師たちのこの事件に関して取った行為の是非は教育問題として論ぜられる必要があると考えた。

被告は本件文章(一)(二)を右のような事情から執筆したものであり、児童、生徒の人権を尊重し、あるべき教育の姿を求めることを目的としたのであって、原告を誹謗中傷する意図も関心もなかったものである。したがって、被告は公益を図る目的で本件文章(一)(二)を執筆したものであることは明らかである。

(三) 事実の真実性ないし真実と信ずるについての相当性

被告が本件記述において適示した事実はいずれも真実である。仮に一部真実でない部分があったとしても、被告は、浩の母親である佐藤澄子からの聴き取り、一審判決及びそれに関連する本件刑事事件の刑事記録、その控訴審の記録の一部、新聞報道、今橋盛勝のいはらき新聞への掲載文並びに刑事事件及び民事事件の一審の傍聴結果などを資料及び根拠として本件文章(一)を執筆したものであり、また、右資料に加え、本件刑事事件(一、二審)及び民事事件の記録を検討して本件文章(二)を執筆したものであるから、被告がこれを真実と信じるにつき相当な理由があったものである。

3  消滅時効

本件文章(一)が新いばらき新聞に掲載されたのは、昭和五六年四月九日及び同月一〇日であり、原告は右各日に本件記事の存在を知ったものと考えられる。一方、原告が昭和五九年四月一〇日被告に対する催告書において名誉毀損の対象となるものと主張した文章は、「暴力女教師事件が愛の鞭にすりかえられた」(本件(一)(2)の記述)、「運命の鉄拳を受けるハメになった」(本件(一)(3)の記述の一部)、「絶対に愛の鞭ではない。この一瞬に教育はなかった。実際はすさまじい頭部殴打であった。」(本件(一)(4)の記述の一部)である。したがって、本件(一)の(1)ないし(6)の記述のうち、右以外の記述についての損害賠償請求権は、昭和五九年四月九日ないし同月一〇日の経過によって時効消滅した。被告は本訴において右消滅時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1について

争う。

2  抗弁2について

(一) (一)及び(二)は否認する。仮に、一般論として体罰の是非をめぐっての意見の表明が公共の利害に関するものであるとしても、本件文章(一)(二)は、原告が感情にかられて一生徒に強度の暴行を加え、あるいはそれによりその生徒を死に至らしめたかもしれないとしか読めず、そこには原告の行為が無罪とされたことの非難に終始し「あるべき教育の姿」について論述するところはないから、被告の行為は、公共の利害に関し、公益を図る目的を有するものとは到底いえない。

(二) (三)は否認する。ある行為につき刑事責任を認定する最終機関は裁判所であり、無罪が確定した刑事被告人を訴訟手続以外の手段をもってしても断罪することは許されないというべきである。また、本件記述の論拠として被告が主張する資料及び根拠は、被告が予断を持って一方的に自己に都合のよい証拠や証言の一部を引用したものに過ぎず、客観的かつ確実なものとはいえない。

3  抗弁3は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1ないし3の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、請求原因4について判断する。

1  水戸五中事件の経緯

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  原告は、昭和五一年五月一二日午前八時五五分ころ水戸市堀町一一六六番地の一所在の水戸五中体育館において、同所に居合わせた同校二年生の浩(当時一三歳)から「何だ、加藤と一緒か」といわれたことに憤慨し、平手及び手拳で同人の頭部を数回殴打する暴行を加えたものである、として、昭和五二年五月二三日、水戸簡易裁判所に公訴を提起されて略式命令を請求され、同年五月二四日、同裁判所により罰金五万円に処するとの略式命令を受けたが、これを不服として、同裁判所に対し正式裁判の請求をした。なお、浩は、事件から八日後の昭和五一年五月二〇日、脳内出血で死亡した。

(二)  右正式裁判において、原告は、かねてから教師として愛情をもって接し、憎めない生徒であるが落ち着きがなく軽率な言動をする欠点を憂慮していた浩が、「何だ加藤と一緒か」と言って「ずっこけ」と呼ばれるポーズをとったのを見て、教育者たる責任感、使命感から看過することはできず、注意しようとして、浩の頭部を押えるように平手で軽く一回叩いた後、軽く握った手の小指側の下の部分を上下に動かして浩の頭上二〇ないし三〇センチメートルのところからトントンと手を上下させて二回たたく行為を二度繰り返しながら説諭、訓戒をしたものであり、その行為は教育上の懲戒目的に出た極めて軽微なもので、学校教育法一一条の体罰に該当しないし、刑法二〇八条の暴行罪の構成要件にも該当せず、違法性も有しないものとして無罪を主張した。

水戸簡易裁判所は、証人として、浩の母親である佐藤澄子(以下「澄子」という。)、水戸五中の教諭であった飯村平人、高屋弘明、同校の教頭であった会沢三男、同校の生徒で事件を目撃していたとするA、B、C、Dを証人として取り調べた他被告人尋問を行い、昭和五五年一月一六日、目撃した生徒の証言については偽証を疑うような事由は見当たらず、証拠を総合すると、原告は浩の言辞及びその態度に立腹し、私憤にかられて右手拳で同人の頭部を強く数回殴打したことは明らかであるとして、原告を罰金三万円に処する旨の一審判決を言い渡した。

(三)  原告は、一審判決を不服として東京高等裁判所に控訴した。控訴の趣意は一審における主張とほぼ同旨であった。同裁判所は、前記飯村平人を再度証人として取り調べ、新たに浩の担任教諭であった圷恭子及び水戸五中の生徒であったE、Fを証人として取り調べた他教育関係者二名の証人尋問並びに水戸五中体育館の検証を行った。

(四)  東京高等裁判所は、昭和五六年四月一日、一審判決を破棄して被告人は無罪との二審判決を言い渡したが、その理由は、原告の浩に対して行った行為は、浩の前額部付近を平手で一回押すようにたたいたほか、右手の拳を軽く握り、手の甲を上にし、もしくは小指側を下にして自分の肩あたりまで水平に上げ、そのまま拳を振り下ろして同人の頭部をこつこつと数回たたいた程度のものであり、その動機、目的も私憤にかられたものではなく、浩の軽率な言動に対してその非を指摘して注意すると同時に同人の今後の自覚を促すことに主眼があったものであるところ、右のような行為の動機、目的、態様、程度に照らすと、原告の行為は、外形的には浩の身体に対する有形力の行使ではあるけれども、学校教育法一一条、同法施行規則一三条により教師に認められた正当な懲戒権の行使として許容された限度内の行為であって、刑法三五条にいわゆる法令によりなされた正当な行為として違法性が阻却され、刑法二〇八条の暴行罪は成立しない、というものであった。この判決に対しては検察側は上告せず、原告の無罪が確定した。

(五)  なお、これに先立つ昭和五四年一一月、浩の両親が浩の死亡は原告の暴行によるものであるとして、原告と水戸市を相手取り損害賠償を求める民事訴訟を提起した。右訴訟については昭和五七年一二月一五日、請求棄却の判決が言い渡された。

(六)  水戸五中事件については、浩が事件の八日後に脳内出血死するという特異な経過を辿ったこともあって、昭和五一年七月に新聞等で報道されて以来、社会の耳目を引くこととなり、本件刑事事件の進行に伴い繰り返し報道された。そして、二審判決については、一定の範囲ながら有形力の行使による教師の懲戒権を認めたという点で全国的に注目され、有形力の行使による懲戒すなわちいわゆる「愛のムチ」の是非あるいはその限界といった法解釈上の問題点あるいは一審と二審で認定した事実が異なるという事実認定上の問題点について教育界、法学界、法曹界を中心に社会的に大きな議論を呼び起こした。

2  本件記述の名誉毀損性

進んで本件記述が原告の名誉を毀損するものであるかについて検討する。

(一)  本件(一)(1)の記述について

〈証拠〉によれば、この記述に続けて、「一女教師の問題は、大なり小なり多くの同僚たちの問題でもある、と支援もされて、有能な弁護士を先頭に攻防して、その威力を印象づけた。このごろ多発する校内暴力で、教師が尻込み役とされがちな風潮に、断固対抗できるたくましき力の女神のようなたのもしき女教師に仕立てあげられたとさえ思われる。」との記述があることが認められる。これらの記述を併せて考えると、本件(一)(1)の記述は、原告が浩に体罰を加えたことを前提として、原告を含む教師たちがこれを隠蔽あるいは正当化しようとしているとしてその意識及び対応を批判するものにほかならないから、原告の名誉を毀損するものということができる。

(二)  本件(一)(2)の記述について

〈証拠〉によれば、当時の新聞が、当初水戸五中事件を「暴力女教師事件」あるいは「女教師暴行事件」「女教諭暴行事件」などと表現していたこと、二審判決後右判決が懲戒目的のための一定限度の有形力の行使は教師の懲戒権の行使として許容されると判示した点で「愛のムチ」が許されるとして報道したことが認められる。そして、〈証拠〉によれば、被告は、この記述の前後において、「愛のムチ」を是認する風潮を批判するとともに、一審判決では目撃した四人の生徒の証言を重要な決め手として暴行罪を判示されたのに対し、二審判決では右証言が退けられた理由について疑問を表明していることが認められることからも、本件(一)(2)の記述は、「暴力女教師事件」すなわち原告の行為は一審判決のように暴行罪として処断されるべきものであると述べているということができる。なお、この部分において、被告は原告を直接名指ししていないけれども、冒頭掲記の証拠によれば、「暴力女教師」が原告を指称するものであることは当時の新聞報道からも明らかであったし、〈証拠〉によれば、本件(一)(3)の記述の存在及び本件文章(一)の〈下〉においては、「加藤教諭」と名指ししていることが認められる。

してみると、この記述は、原告の名誉を毀損するものであることは明らかである。

(三)  本件(一)(3)の記述について

ここでの「運命」「鉄拳」という表現、及び〈証拠〉によれば、この記述の前に「殴られた佐藤君は、暴力を受けたことをいっさい両親に話さず、八日後に脳内出血で死に、火葬されてしまったため、証拠は得られず」と記述されていることが認められることを考慮すると、本件(一)(3)の記述は、読者をして、原告は浩に対して強度の暴行を加えたことのみならず、原告の死亡は右暴行と因果関係があるのではないかとの推測を抱かせる表現であると認められる。

してみれば、この記述も原告の名誉を毀損するものであることは明らかである。

(四)  本件(一)(4)の記述について

〈証拠〉によれば、この記述の直前に「この種の戒めの手段として殴打はどうしても必要であったろうか。一審では『私憤にかられて』の行為とみなされた。」とあり、この記述の後には「加藤教諭は当時何かの原因で、余程気がたっていたか、それともよほどカンに障ったのか。」と述べられていることが認められることからも、被告は、本件(一)(4)の記述において、原告が凄まじい頭部殴打を加えた、その行為は「愛のムチ」というようなものではなく、そこには教育はなかった、まことにいたましい話である旨述べているのであり、これが原告の名誉を毀損するものであることは明らかである。

(五)  本件(一)(5)の記述について

〈証拠〉によれば、被告は、この記述の前後において、教育における教師と生徒の心の通いあい、信頼が重要であること、憲法の精神と教育基本法を理想として国民全体が民主教育を守るべき責任があることを述べていることが認められ、本件(一)(5)の記述はこのような立場から一般論として「愛のムチ」を乱用することは許されないと述べていることが認められる。そうすると、この記述においては原告の行為を適示してこれを批判するものとは言い難いから、これが原告の名誉を毀損するものとはいえない。

(六)  本件(一)(6)の記述について

〈証拠〉によれば、被告は、この記述の前で、教育に最も不可欠なのは心の通いあいであると述べ、本件(一)(6)の記述に続けて「この不思議ならくがきから、佐藤君の心の重みと、じっと耐えた肉体的苦痛を、多くの人に察してほしいと思う。」と述べていることが認められることを考慮すると、本件(一)(6)の記述は、浩がどのような気持ちでこのようならくがきを書いたのか、浩の受けた精神的苦痛を読者に考えてもらいたいと述べたものと認めるのが相当であり、結局原告の行為は浩に精神的、肉体的苦痛を与えたと述べているといえるから、その意味で原告の名誉を毀損するものといわなければならない。なお、「故佐藤浩成仏」という言葉は死を予測させる言葉ではあるが、進んでこの記述が原告の暴行と浩の死亡との間の関連を指摘するものとまでは認め難い。

(七)  本件(二)(1)の記述について

この記述は、浩の臨終の状況を描写したものであり、それ自体は原告について摘示するものではない。しかしながら、〈証拠〉によれば、この記述は本件文章(二)の冒頭にあって、浩の死亡によって事件が明らかになったことを述べた一部分であること、その直前に「『おかあさん、おかあさん』とかぼそい声で叫び、『あのう…………』と何かを語ろうとした矢先、激しいけいれん発作に襲われて、もはや正常な意識に戻らなかった。やがて顔面がひきつり、臨終の断末魔の中で少年は声をふりしぼって叫んだ。」との記述があり、後に本件(二)(2)の記述があることからすると、読者をして浩の死が原告の行為と何らかの関係があるのではないかという推測を抱かせるものであるから、その意味で原告の名誉を毀損するものであるということができる。

(八)  本件(二)(2)の記述について

〈証拠〉によれば、この記述は、浩の死後同級生の発言により事件が明るみに出たことを述べたものであることが認められ、浩が原告から強度の暴行を受けたことをその発言の内容とするものであるから、原告の名誉を毀損するものであることは明らかである。

(九)  本件(二)(3)の記述について

〈証拠〉によれば、これは、小見出しであり、それに続く本文では、原告が浩を殴打した状況、及びその後の経緯、すなわち殴打された後浩は体調の不調を訴え、五月一九日には学校を欠席したが、頭痛と吐気の症状が募るので、翌二〇日近くの医院へ赴いたところ、空ベッドがないので水府病院へ転送され、脳内出血と診断されて、手術の準備の最中に死亡したとの記述があることが認められ、このことと、本件(二)(1)の記述を併せると、本件(二)(3)の記述は、原告が浩を殴打したことを述べているのみならず、原告による「突然の殴打」と浩の「死」との間に因果関係があるのではないかとの疑いを窺わせるものといわざるを得ない。したがって、この記述は原告の名誉を毀損するものである。

(一〇)  本件(二)(4)の記述について

この記述は、原告が浩を殴打したとしてその際の状況を描写したものであり、これが原告の名誉を毀損するものであることは明らかである。

(一一)  本件(二)(5)の記述について

この記述は、原告が浩に暴行を加えたことが生徒たちの間で話題になったことを述べているものであるから、その意味で原告の名誉を毀損するものであるといえる。また、後半の部分は、その文言自体からは原告について摘示したものでないとはいえ、原告が浩に暴行を加えたことによって、浩の死に対し一段と激しい慟哭の波が広がったと述べているのであるから、原告の暴行と浩の死亡との間に関連があるのではないかとの疑いが生じたと言外に読みとれる表現になっていることが認められる。したがって、その意味でも原告の名誉を毀損するものであることは明らかである。

(一二)  本件(二)(6)の記述について

この記述は、被告、あるいは浩の両親が、事件が明るみに出た後に抱いた感想を述べたものであり、直接には原告について摘示したものではないが、〈証拠〉によれば、これに続けて「これ以上肉体的苦痛を与えたくない、そっと天国へ送りましょうと、何も知らずに荼毘にふし、取返しのつかぬこととなった。ぬけぬけと『火葬ですか、土葬ですか』と尋ねた教頭の顔が、母の胸に深く刻まれている。証拠湮滅が完全になされるという確認であったろう。」と述べていることが認められることからすると、解剖すれば原告の行為と浩の死因との関係が明らかとなったのではないか、解剖しなかったがために刑事事件及び民事事件において不本意な結果となったのであろう、というものと認められる。してみると、本件(二)(6)の記述は、原告の行為と浩の死との間に因果関係があるのではないかとの疑問があると言外に述べているものであり、その意味で原告の名誉を毀損するものということができる。

三  そこで、抗弁1について判断するに、仮に被告主張に係る事実が認められるとしても、それによって直ちに本件記述の違法性が阻却されるとの主張は採用し難いから、右主張は失当である。

四  更に、抗弁2について検討する。

1  一般に、民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係りもっぱら公益を図る目的に出た場合においては、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である。また、意見の表明にわたるものについては、それが公共の利害に関し、もっぱら公益を図る目的に出た場合で、その前提となる事実について、真実であるか、真実であると信じるにつき相当の理由があるときには、同様に違法性を欠き、もしくは故意過失がないとして、不法行為は成立しないものと解すべきである。以下、この基準に則して検討する。

2  公共の利害に関する事項及び公益目的の存在

(一)  〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告は、家庭の主婦のかたわら文筆活動を行っていたものであるが、かつて教員をしていたこともあり二児の母としても従来から教育には関心をもっていたところ、水戸五中事件の新聞報道に接し、この事件に関心を抱くに至り、事件の真相を解明しようと澄子から直接事情を聴取したり、刑事裁判の傍聴や公判記録を読むなどして、その成り行きを注目していた。そして、一審判決については、被告のこれまで得たこれらの資料から妥当なものであると評価した。

(2) したがって、二審判決の報道に接し、なぜ一審判決と異なる結果となったのか疑問を持ち、また、体罰を容認できない立場からも二審判決には納得ができなかった。

(3) 丁度そのころ、被告がかねてから水戸五中事件に関心を抱いていたことを知っていた新いはらき新聞記者であった箕川恒男から、昭和五六年四月六日ないしは七日ころ、被告に対し、市民として、あるいは母親としての立場からの二審判決の感想文を執筆するよう求められた。

(4) 被告は、自ら収集した前記(1)の資料に照らし、二審判決の理由についての疑問を提示し、二審判決の問題点を指摘すると同時に、右判決やマスコミの「愛のムチ」という表現で体罰を容認するような論調に断固反対である被告の教育や体罰に関する意見を母親や市民としての立場から述べて教育の在り方を問うことを目的として本件文章(一)を執筆したものである。

(5) ところで、生徒の非行や校内暴力等が増大し社会問題化されているなかで、二審判決を契機に有形力行使の是非及び限界をめぐっての議論が起き、右判決を根拠に体罰が事実上是認される傾向に対しての懸念も生じ、このような懸念から前記のとおり、教育界や法学会、法曹界などを中心として体罰問題について論議が高まった。また、父母の側からの呼びかけに応じて、子供の人権を守る立場から学校教育を考えることを目的として、「子供の人権を守る父母の会」が教師、研究者及びジャーナリストらも参加して二審判決直後に発足し、懇談会の開催や会報の配布を通じて、体罰についての学習と事例報告、中高生の学校生活の実態報告、体罰に頼らない教育実践の発表等についての意見の交換、講演会の開催等を実施してきた。被告はその中心メンバーの一人として右会報にも執筆するなどの活動を行ってきた。

(6) そのような中で、教育法、教育学、心理学、刑法、比較法、国際法などの各領域から体罰問題を解明することを目的として、前記「教師の懲戒と体罰」が東京大学教授牧柾名及び茨城大学教授今橋盛勝によって編集されることとなり、昭和五七年四月ころ、編集者から被告に対し同書に掲載するため水戸五中事件のルポルタージュを執筆するよう依頼があった。被告は、その執筆にあたり、前記(1)の資料に加え、本件刑事事件の一審公判記録並びに二審公判記録及び当時係属していた民事訴訟の訴訟記録の主だったものやこれらに関する新聞報道や論文等を検討し、さらには、右今橋教授の研究室で数回行われた研究会にも参加し、水戸五中事件の裁判記録の検討を中心に体罰判例の研究を行った。

(7) 本件文章(二)が掲載された前記「教師の懲戒・体罰と子供の人権」は、昭和五七年一一月出版された。

同書は、四章からなり、第一章「教師の懲戒・体罰と子供の人権」において、体罰一般についての検討を行い、第二章「教師の懲戒・体罰の教育法的検討」において、懲戒・体罰判例の教育法的側面及び刑法的側面からの分類、検討を試み、特に戦後体罰判例の二大潮流をそれぞれ代表する判決として水戸五中事件の二審判決を昭和三〇年の大阪高等裁判所の判決と対比して位置付け、本件文章(二)が含まれる第三章「体罰事件と裁判」においては、水戸五中事件ほか二つの体罰事件を取り上げジャーナリスト、作家の立場から検討し、終章「子ども・生徒の人権保障と体罰抑止の教育法理」においては、体罰のない学校教育への改革の必要性と提言を述べるという構成になっている。

(8) 本件文章(二)は、体罰問題の重要な実例としての水戸五中事件の経緯を追うことによって、その事実関係を明らかにし、二審判決の法解釈上の問題点及び事実認定上の問題点を明らかにし、このことを通じ、「愛のムチ」や子供の人権について考え、体罰は不要だとの立場から、教師の懲戒の範囲を世に問うことを目的としたものである。

(二)  教師の体罰問題を含め、教育問題は社会的な関心事であることは周知の事実であり、体罰問題の現状を明らかにしてその問題点を指摘し、教育のあるべき姿についての意見を表明し、これらを社会の批判にさらすことは、教育活動の発展ひいては社会の発展に寄与するものということができる。そうして、右(一)で認定した本件文章(一)(二)を執筆した経緯、目的及びその内容に照らすと、本件記述は、公共の利害に係り、かつもっぱら公益を図る目的から執筆されたものということができる。なお、本件記述中には一部やや情緒的な表現も散見されないではないが、それのみをもってしては右認定を覆すに足りず、他に右認定に反し本件記述が格別原告に対する個人的な誹謗中傷を目的としてなされたことを窺わせる証拠はない。

3  本件記述の真実性ないし真実と信ずるに足る相当の理由の存在

(一)  本件刑事事件の審理経過及び一審判決、二審判決の内容は前記二1で認定したとおりである。そうして、被告が本件文章(一)(二)の執筆にあたって、本件刑事事件の公判記録や澄子からの聞き取り、民事事件の訴訟記録などを資料としたことは前記四2で認定したとおりである。

(二)(1) 前記認定のとおり、本件(一)の(2)ないし(4)の記述並びに本件(二)の(2)ないし(5)の記述は、いずれも原告が浩に強度の暴行を加えたことを述べているものであり、このうち本件(一)(3)(4)の記述及び本件(二)(4)の記述は右暴行の様子を具体的に描写したものである。

(2) 〈証拠〉によれば、原告の行為を目撃した前記四人の生徒は、本件刑事事件の一審において証人として次のような証言をしていることが認められる。

a Aが浩と話しながら測定器具のあるステージの方に向かって歩いていたところ、原告が「佐藤」と怒ったような感じで浩を呼んだうえ、同人と向かい合い、何かぶつぶつ言いながら同人の頭頂部の辺りを拳骨で一〇回前後はたいた、かなり力が入っており、音がすごく、同人の頭ははたかれる度に動いていた、原告はすごく怒っている様子だった、Aは三メートル位離れたところで見ていた、はたかれた後、浩は、はたかれた部分をなでながら、痛いと言っていた、Aが「大丈夫か」と尋ねると、「大丈夫」と答えた(Aの証言)

b 原告が浩の後ろから、右手のこぶしを肩辺りに上げて振り下ろすような格好で後頭部の上の方を一回殴り、浩が振り向いて不満気な顔をしたので「何だその顔は」というようなことを言い、続けてこぶしで同じように五、六回殴った、原告はわりと強い感じでたたいた、殴り方は中程度の強さだった、原告はかなり怒っているような感じだった、自分からの距離は二メートル内外だった、その場で浩になぜたたかれたか聞いたがよく分からないと言っていた(Bの証言)

c 原告が浩の後ろで立ち止まり、「何をしているんだ。」と言ったところ、浩が振り向き、原告は、「お前みたいなやつがいるから二年生はだめだ。」などと言いながら浩の左側頭部のあたりを軽く右手を握って耳の脇辺りに振り上げて一、二回たたいた、それ程力一杯入れているようではなかった、なでるよりはちょっと強かったようである、たたかれた後浩が不満そうな顔をしたので、原告が憤慨したようでまた四、五回たたいた、そのときの力の入れ具合も同じだった、たたいている際、二、三回かすかにごつという音が聞こえてきた、たたかれた時、浩の頭が少し揺れたように見えた、自分は二人から二メートル位離れていた、自分は浩になぜたたかれたか理由をきいたが何もいわなかった(Cの証言)

d ごつという音でDが振り返ったら、原告が怒って向き合っている浩をたたいていた、にぎりこぶしで浩の後頭部を一〇回程度たたいていた、最初は後頭部でその後浩はうなだれるようになって頭の脇の方が当たっていた、浩はたたかれて抵抗していなかった、原告は諭すような感じではなかった、さわるよりは強くはたいていた、男の先生がはたくほどではない、浩は痛いといっていたと思う、どうして殴られたのかと聞いたが、何も言っていなかった(Dの証言)

一方、〈証拠〉によれば、原告の同僚の教諭飯村平人は、一審及び二審において、証人として、原告が生徒と向き合って、原告の右手が肩のあたりまで上っているのを見たが殴打した状況は見ていない、握りこぶしでも平手でもなかったと供述し、二審において証人として新たに取り調べられた生徒二名(E、F)も生徒が原告と向かい合って怒られていた、手を上げたりたたいたりしたところは見ていないと供述していて、結局本件刑事事件において前記四名の生徒のほかには原告が浩をたたいた現場を目撃した第三者の供述はないことが認められる。

以上の証言に対し、〈証拠〉によれば、原告及び弁護人は、当初から、平手で浩の前額部を一回軽く打った後、同人を説諭しつつ、右手を握った状態でその小指側でトントンと頭の上部を二、三回軽くたたいたと主張していることが認められる。

(3) そして、〈証拠〉によれば、二審判決は、一審における四名の生徒の証言のうち、Aの証言は信用できないが、他の三名の証言は大筋において信用してよいとし、これらと二審において取り調べた飯村平人、E、Fの、浩は普通に叱られているという状態であったという各証言及び原告の捜査段階からの一貫した供述とを併せ考えて前示のような認定をしたものであることが認められるが、右のとおり、右四名の生徒の証言は、若干の程度の差こそあれ、原告が浩に対し比較的強度の殴打を加えたとする点では一致しており、これに対して、原告の主張はこれら一審における四名の生徒の証言とは異なるものであり、他にこれを直接裏付ける第三者の証言はないのであるから、右四名の生徒の証言を重視して原告の主張を裏付ける証拠はないとして、一審判決のように原告が浩を強く殴打したものと認定する余地も十分にあったものと認めることができる。

(4) そうして、原告の暴行の状況を具体的に描写したものである本件(一)(3)(4)及び本件(二)(4)の記述についても、大筋においては前記四名の生徒の証言に沿う内容であり、また、〈証拠〉によれば、原告は、本件刑事事件において、浩が「何だ加藤と一緒か」と呟いたのを原告が聞いたことが原告の行為の契機となったと述べており、原告が当時三年生の担任で保健体育及び国語一級並びに社会について資格を有する四〇歳の教諭であって、身長が約一六三センチメートルであったことも供述していること、同じく本件刑事事件において生徒や会沢教頭が原告には短気なところがあり、説教が長かったと証言していることが認められ、〈証拠〉により、前記民事訴訟の記録中に、浩が身長一四三・三センチメートル、体重三六キログラムであった旨の記述があることが認められる。

(5) してみると、被告が原告が浩に対して強度の暴行を加えたと信じ、そう信ずるについては相当の理由があったものというべきであり、その具体的な状況についても真実、ないし真実であると信じ、そう信じるについて相当の理由があったものと認められる。

なお、原告は、無罪が確定した刑事被告人を訴訟手続以外の手段をもってしても断罪することは許されないと主張する。確かに無罪が確定した行為について更に刑事上の責任を問われないことは勿論であるが、裁判所の事実認定といえども当該手続において審理された証拠に基づく一定の評価に過ぎないのであって、確定判決の認定した事実が必ずしも客観的真実と一致するとは限らないことは多言を要しないところであるから、確定判決により認定された事実と異なる事実を摘示して名誉を毀損したからといって、直ちにこれが真実ではないとはいえないし、真実と信じるについて相当な理由がないともいえないから、原告の右主張は採用できない。

(三)  本件(一)(1)の記述は原告が浩に暴行を加えたことを前提として、教師の姿勢や対応を批判したものであるが、前記認定のような本件刑事事件の公判における原告側の主張や〈証拠〉により本件刑事事件において証人となった教諭らがどちらかといえば原告の主張に沿う内容の証言をしていることが認められることを考えると、原告が浩に強度の暴行を加えたことを前提にする限り、そのような評価も当然あり得るところである。

また、本件(一)(4)の記述のうち、原告の行為に教育がなかったと述べている部分、まことにいたましい話であると述べている部分については、被告本人尋問によれば、被告は理由のいかんを問わず体罰は許されるべきでないと考えていることが認められ、原告が浩に強度の暴行を加えたことを前提にすれば、このような評価は当然あり得るところである。

更に、本件(一)(6)の記述については、前記のとおり、原告の行為が浩に精神的肉体的苦痛を与えたと述べているものであるところ、浩が原告から強度の暴行を受けたことを前提とする限り、これによって精神的肉体的苦痛を受けるであろうことは十分推測し得ることである。

そうして、原告が浩に強度の暴行を加えたことについては、被告においてこれを真実と信じ、そう信ずるにつき相当な理由があったことは右に認定したとおりである。

(四)  前記認定のとおり、本件(一)(3)の記述並びに本件(二)の(1)、(3)、(5)及び(6)の記述は、原告の浩に対する暴行と浩の死亡との間に因果関係ないし何らかの関連があるのではないかとの疑問を示唆しているものである。

原告の行為と浩の死亡との間の因果関係については、〈証拠〉によれば、死体の解剖をしていないため死因の究明は不可能であり、頭を強く打った場合脳内出血をおこすのは一両日中であって、八日後に脳内出血で死亡することは医学常識上考えられない、脳内出血と殴ったことの因果関係を認めるに足る証拠は乏しい、との理由で原告については暴行罪での起訴に留まったものであること、また、二審判決中でも浩の死亡の原因である脳内出血が外因性のものであるか否かは不明であって、原告の本件行為と浩の死亡との間に因果関係が存在することを認むべき証拠は全く存在しない旨述べられていることが認められる。

しかしながら、〈証拠〉を総合すれば、浩の死亡後本件の事件が話題となったこと、浩は、事件の八日後に死亡し解剖に付されなかったため、浩の両親や生徒らなど一部に原告の行為によって浩が死亡したのではないかとの疑念が生じたこと、そのため浩の両親や被告が解剖すべきであったと感じたことが認められ、また、〈証拠〉によれば、浩の死亡当日同人の診療にあたった大原和夫医師は、当初風疹脳炎を疑ったが、血圧を測定すると異常に高かったので、風疹脳炎とは違うのではないかとの疑問を抱いたこと、また左右の眼底に眼底出血が認められたほか、腰椎穿刺によって採取した髄液が血性であったことから脳内出血と判断したこと、同医師は、澄子に対し、浩が一か月以内に頭をどこかにぶつけたことがないかと尋ねたこと、当時浩は風疹に罹患していたけれども、大原医師は、風疹脳炎とは関係ないと述べていたこと、原因は〈1〉先天性脳内血管動脈瘤、〈2〉脳腫瘍、〈3〉外圧による脳内出血のいずれかと考えられると判断していたこと、同医師は、前記民事訴訟においても、証人として、浩の死因は脳内出血であって、風疹脳炎とは関係がないと供述し、本件刑事事件の二審の検察官の弁論要旨においても、同医師が頭をげんこつで殴ることと脳内出血を起こす可能性について肯定する供述をしているとして原告の行為と浩の死亡との間の関連を示唆していることが認められる。

これらの事実に、前記認定のとおり被告において原告は浩の頭部を強く殴打したと信じるにつき相当の理由があったこと、当時浩の両親によって浩の死亡についての責任を追及する前記民事訴訟が係属中であったことを考え合わせると、被告において、本件文章(一)(二)執筆の当時、原告の行為と浩の死亡との間に因果関係ないし何らかの関連性があるのではないかとの疑問があると信じ、そう信じたことにつき相当の理由があったものと認めるのが相当である。

(五)  なお、〈証拠〉によれば、本件(一)(6)の記述にあるらくがきを被告は澄子から見せられ浩の筆跡である旨説明を受けたこと、本件(二)(1)の記述にある「チキショウ、チキショウ、チキショウ」と浩が述べたことや本件(二)(2)の記述及び本件(二)(5)前半の記述は、澄子が見聞した事実として同人から被告が聞き取った事実を記述したことが認められるから、右各実については被告が真実ないし真実であると信じ、そう信じるについて相当の理由があったものというべきである。

4  そうすると、本件記述のうち、原告の名誉を毀損するものと認められるものについては、いずれも、公共の利害に関し、公益を図る目的に基づくものと認められ、かつ、真実であるか、被告においてこれを真実と信じ、そう信ずることにつき相当の理由があったものと認められるから、抗弁2はいずれも理由があることに帰する。

五  結論

以上の次第であるから、その余の点を判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小野聡子 裁判官 園田小次郎 裁判官 加藤正男)

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